The Satsuma Studentsという学生団体の代表をされている大学生、
甲斐友也さんを取材してきました!
◆はじめに自己紹介をお願いします!
鹿児島大学物理科学科3年の甲斐友也(カイユウヤ)です!
”The Satsuma Students”の鹿児島代表をさせていただいてます。僕自身は大分県出身なのですが、縁があって「五代友厚(ゴダイトモアツ)」という鹿児島の偉人の映画を作るプロジェクトに携わらせていただいています。そこで明治時代の人たちや江戸から明治にかけて活躍した英国留学生達のことを知り衝撃を受けました。その当時の生き方や考え方を現代であっても活用できることが沢山あり、学生のみなさんにも知ってもらいたいと思ったので団体の代表をしています。
◆ありがとうございます! 甲斐さんが代表をされている The Satsuma Studentsは具体的にどういう活動をしているのですか?
今大きな活動自体はないのですが、2月の始めに五代友厚が鹿児島と大阪にゆかりがあるということで、大阪から企業家や社長を鹿児島に呼びました。鹿児島県のいちき串木野の羽島(ハシマ)というところに英国留学生記念会館があるのですが、そこでのセレモニーをしたり、鹿児島の歴史を周るツアーを開催したりしました。
また学生に向けては、この前世界遺産に登録された仙巌園などで鹿児島の歴史について、鹿児島に縁があって来ている学生たちに知ってもらいたいということでガイドを中心に行っています。
◆そうなんですね!何人で活動しているのですか?
卒業して抜けたメンバーがいるので、今のところ3人しかいないんです。これからいろんな人と出会っていく中で興味がある子がいたら引き継いでもらえたらと思っています。
◆ちなみに今までガイドは何回されてきましたか?
今までの合計で4回ですね。回をこなすごとに自分の中の知識も収まっていって、1回目に案内した人よりも4回目に案内した人の方が洗練したガイドを聞けたと思います。(笑)
◆その4回されてきたガイドはボランティアですよね?
そうですね。もう年間パスポートまでもってるので、お金が掛かるのはバス代くらいですね。(笑)
◆僕も1回ガイドしてもらったのですが、 その時はバスの中でもいろいろ教えてもらいましたが仙巌園以外も勉強しているのですか?
そうですね。仙巌園の知識が増える上でそういった知識も増えてきました。勝手に増えた知識ですが、仙巌園に行く途中も楽しんでもらえたらと思って話しています。普段意識せずに通る道も昔のゆかりある場所だったりもするので、僕自身が驚いたことを共有できればなと思ってます。
◆僕は前回お客としてガイドをしてもらう側だったのですごく楽しかったのですが、実際にガイドをしている側として難しいことや大変なことはありますか?
大変な面は特にないですね。僕自身ゼロから知っていったことなので、聞いていてわからないことは同じだと思います。僕も1回聞いただけでは、「どういうことだろう?」と思うので、そういったところは大学生に説明するときには省略したり、もっと掘り下げて理解した上で説明したりしています。唯一難しいのは、聞いてる人たちの基礎知識がバラバラなので、「この人は話に付いて来てないな」や「前2人は食いついてきたけど、後ろの2人は退屈している」などと感じれば、その人たちの出身の県との繋がりを話すなど興味を引くように話を毎回変えることですかね。
◆毎回話を変えることができるということはそれだけ知識量があるということだと思うのですが、どうやって勉強したのですか?
特に難しい文献を読むようなことはしていません。今回であれば、英国留学生や五代友厚が主体となっている本を
何冊か読んだり、仙巌園の学芸員の方に質問して聞いたりしました。また、1度だけ学芸員の方に実際にガイドをしてもらって「この部分は必要ない」や「これほど詳しくなくていいな」という選択もしました。
◆逆にガイドをしていて面白いことや楽しいことは?
自分が面白いと思い、「薩英戦争」や「焼酎のルーツ」などのことを熱を入れて説明したときに反応がいいと嬉しいし、
ガイドが終わった後に「鹿児島好きになりました」や「また仙巌園に来たくなりました」などと言われると、仙巌園のスタッフでもないのに自分のガイドが役にたったんだと思い嬉しくなります。(笑)
◆確かに僕も鹿児島がもっと好きになりました!あの時はありがとうございました。(笑)知識量がすごいという話もしましたが、 歴史はもともと好きでしたか?
高校の時は地理を選択していて、日本史も世界史も勉強していません。ただ中学レベルであれば好きです。覚えるのが好きなわけではなくて、いろいろなことが繋がるのが好きで、「こいつこの前も出てきたやん!」といった謎解き感覚がたまらないですね。(笑) 今回の英国留学生のこともいろいろなことが繋がるので面白いですね。
例えば小学生のときに修学旅行で行った長崎のグラバー園が五代友厚と繋がっているということを10年越しに知るという感じです。(笑)
◆10年越しはすごいですね。(笑) 僕も長崎出身なので驚きました!(笑) 少しだけで良いので、特別にいつもガイドで話していることを お聞かせいただけないですか?
いいですよ!分かりやすいので、芋焼酎がなぜ鹿児島で広まったのかを話しますね!
まず鹿児島で有名な藩主、28代目「島津斉彬(シマズナリアキラ)」という方のことから話します。今の鹿児島を作ったと言っても過言ではない、明治の偉人たちが生まれたのもこの方のおかげだと思うんですが、その斉彬が海外に負けない国作りをするために「富国強兵」をコンセプトに、そして兵力よりも国力だとして「集成館事業」も同時に始め、集成館で鉄鋼・紡績・造船などをしていました。斉彬がそうしていた理由は「海外を恐れていた」という部分もありますが、実は「海外に興味深々」だったかららしいです。
そして海外から伝来してきたものの中で雷管銃というものがありました。種子島から伝わったので有名なのは火縄銃なんですが、火縄銃の欠点は火を使うので、雨の日や湿気が多い日は銃が使えませんでした。しかし雷管銃は玉の後ろに高濃度アルコールをつけて、それに高い圧力をかけて爆発を利用して玉を出すシステムでした。天気にも左右されないので斉彬もこれを作ろうと言い出しました。
高濃度アルコールをどうやって作るかで会議になり、当時鹿児島も含め日本で飲まれていた米焼酎を蒸留して作ることになりました。そして100%に近いアルコールができたんですが、斉彬が技術者にどれくらいの「米」を使ったか聞いたところ、ものすごく多い量を使ったのがわかりました。鹿児島はシラス台地で水はけがよく、米ができにくい地域なので米というのは貴重なものだったんですね。すると斉彬は「市民が食べる貴重な米を軍事用に使うわけにはいかない」と言って、鹿児島で沢山とれるサツマイモで高濃度アルコールを作るように命じました。結果として高濃度アルコールが完成して、それを薄めて芋焼酎として売り出せば名産品になるということを思いつき、今の芋焼酎が生まれました。
そういった民芸品と工業を繋げる視野の広さは、1つのものを単体として考えるのではなく、パーツとして捉え、他のものとコラボさせるといったイノベーションみたいな感覚が優れていたんですよね。
◆なるほど、面白いですね!
僕がガイドをするときのスタンスは飲み屋で話をすると盛り上がるようなネタをみんなに知ってもらいたいというもので、そこからみんなに鹿児島を好きになってもらいたいですね。飲み屋で話して詳しいねと褒められたら単純に嬉しいじゃないですか。(笑) そういった時にもっと鹿児島を知りたいとか思ってくれたらさらに嬉しいですね!
◆確かに、勉強嫌いな僕ももっと鹿児島のネタを知りたいと思いました!(笑) そもそもの話に戻ってしまうのですが、 The Satsuma Studentsという団体は、何かの募集があったのですか?
去年の話になるのですが、ちょうど僕がいろいろな活動に参加しようと思ったきっかけがThe Satsuma Studentsで、
(2014年の)10月頃に五代友厚の映画プロジェクトがあるというのを先輩から聞いたんですよね。映画には興味があったんですが、少しめんどくさいと思う面もありました。ただ活動をしていくとイギリスに行けるかもしれないという話しがあって、ちょっと不純な理由で始めました。(笑)
イギリスにいけるならと始めましたが、やっていくうちに五代友厚や英国留学生の生き方に感銘を受けて、
自分自身鹿児島を好きになっていきました。他県出身の僕が好きになるなら、県内出身であればさらに好きになるだろうし、今まで知らなかったことを知ることで地元愛に繋がると思ったので、五代友厚プロジェクトの学生広報をやってほしいと言われ、学生団体としてやってみようと決めました。
◆ということは大阪の方が鹿児島に来て募集をしたということなんですね。
そうですね。五代プロジェクトの前に鹿児島大学の前身である第七高等学校が舞台の「北辰斜(ホクシンナナメ)にさすところ」という映画を作った方がいて、その方が今回の五代友厚の映画も作るんですよ。前回の映画の製作時にも鹿児島の方が手伝っていて、その人と僕が知り合いで今回は学生と一緒に作りたいという話になったようで、その人からも教えていただきました。
◆前回は学生は関わっていなかったんですね!
はい。今回は、「みんなで作りたい」という思いがあるようです。このプロジェクトには大阪にも関わっている学生がいて、主に大阪市立大学の学生なんですが、大阪でも広報を頑張っています。
◆他の県の学生とは関わりはないのですか?
鹿児島の他のメンバーはないんですけど、僕は個人的に大阪に行って大阪の会議にも何度か出たので、交流はあります。ちなみに大阪市立大学というのは五代友厚が創った大学なんです。
◆そうなんですね!やっぱりその学生たちは五代について詳しいんですよね?
そうでもないです。(笑)正直、3月に行ったときは僕の方が詳しかったですね。ただ、その後は触発されたらしく、「もっと頑張らないと」と言ってくれました。逆に、大阪ではラジオにも出ているらしくて、僕も頑張らないといけないと思いましたね。
◆宣伝の方法で今考えてることはありますか?
今考えているのは、定期的にフリーペーパーを作りたいと考えています。個人的にやりたいということもあるんですが、
フリーペーパーとかの方が、学生からしたら目を通しやすいだろうなと思って。定期的に作りたい理由は、鹿児島の人もなかなか五代友厚を知っていなくて、知らない人がモデルの映画って見たくならないじゃないですか。
最低でも「名前だけを聞いたことがある」 「確かうるさい学生が言ってたな」くらいでもいいですね。(笑) 何かきっかけを自分が作れたらなと思います。
◆ズバリ五代友厚を端的に説明してと言われたら?
「きっかけ作りの天才」ですね!僕自身もガイドとかしていますが、歴史を知ってほしいわけではなく、鹿児島を好きになるきっかけとして、歴史という入口から入ってもらえればというニュアンスでやってます。ただ五代友厚の考え方はあの時代ではまず異質だったはずです。生きることに精一杯な時代なはずなのに海外に視野を向けていたり、不便だと思うことを解消するためのきっかけ作りが200社のベンチャーを作ったりしたことに繋がったんだと思います。いろんな場所でいろんな「きっかけ」を作っていたんだろうなと。英国留学生も日本初の私費留学でしたし、それも留学というきっかけを作ったんですもんね。
◆ここまですごい偉人なのに、なぜ有名じゃないんですかね?
僕自身そう思っていました。今度の8月8日に就活系のイベントを開催して、鹿児島まで来て下さる脚本家の小松秀樹さんと、田中はるなさんは全国に脚本家を募集して決まったんです。その受賞セレモニーで、田中さんが「五代友厚は歴史に愛されなかった男」と言ってて、それがしっくりきてしまったんですよね。
その時代であれば、超有名人だったと思います。しかし国の汚いところに携わり、今でいう汚職問題のようなグレーな部分があったために人気がないのかもしれません。
◆今回の映画では五代のそういう面も描かれるのですか?
学生も意見を言っていいんですが、僕は映画化の会議で「汚い部分を見せるべきだ。五代友厚の伝記というように作られても共感できない。弱い部分を見せないと雲の上のような存在になってしまって、学生である僕たちには受け入れられなくなる。」と伝えました。
◆すごいですね!普通社会人相手だと物怖じするじゃないですか。
普通物怖じしますよね。前に鹿児島でも会議があったんですよ。そのときにいちき串木野の市長・副市長や社長・映画関係者・学生で話してたんですが、市長と一緒に話し合うようなことが初めてで、雰囲気に酔ってしまい発言をしませんでした。その時鹿児島大学出身の先輩であるプロジェクトの代表の方に、
「発言をしない意味がわからない。怒られようが怒られまいが、この人たちと出会っていることに感謝できていないから発言ができないんだ。今このタイミングは、市長と学生に何の優劣もなく、肩を並べて会議できているのになぜ勝手に自分を下にするんだ。」
と言われ、何酔ってたんだろうなと。(笑) 後日すぐに今度は熊本で会議があったんですが、行かせて下さいとお願いして、思っていたことをまとめて言ったのがさっきの意見ですね。
◆その言葉はすごいですね。
大切にしなきゃって思いました。まして映画とか作ってないからわからないじゃないですか。意見するときの自分自身の中のハードルが大きくて、みなさんあると思うんですけど、「自分がこのレベルまで到達しないと発言できない」とかありますよね。それでそのときも発言もできなかったんですが、さっきの言葉をいただいたので、「大前提今までの話し合いで出てないこと」や「ちゃんとした自分の意見」なら発言しようと思いました。それからは物怖じしなくなりましたね。
◆言葉の話をしてもらいましたが、いろんな活動をしていく中で、大事にしている言葉、座右の銘とかありますか?
どこで出会ったかも覚えていないんですけど、
「今日という日は、残りの人生の中の一番最初の日です」
という言葉ですね。初心を忘れるなというか、普段言葉を覚えることができなくて、なぜこの言葉に感動したかも忘れました。(笑) 楽しいことが好きなので、毎日新鮮に生きたいんですよね。この言葉はすごく共感できて好きですね。
◆歴史が好きだから偉人の言葉と思いきや!
偉人の言葉とか覚えきれないんですよね。興味がないんですかね。(笑) 歴史は好きなんですけど好きな理由も、なぜこの偉人がこんなことをしたのかっていうのに興味があって、そこ以外は興味ないんですよね。あと歴史が好きなのは、「温故知新」という言葉も好きだからですかね。ガイドをするときも昔のことを説明するのですが、現代にどうつながっているのかも話すので、温故知新も大切にしていると思います。
◆先ほど、ちらっと8月8日に開催する就活系のイベントについて話がありましたが、どういったイベントになるんですか?
今回のイベントは五代友厚プロジェクトという僕たち学生部の上の本部の方たちに来ていただいて、明治維新の激動の時代のことを話してもらいます。歴史のことだけではなく、僕たち自身これからの仕事や将来のことを考えることがあるので、昔を知るというのが僕たちの未来を考えることに全く繋がらないわけではないし、五代友厚は実業家で、今でいうベンチャー企業を起こしているような人なので、「起業すること」や「職につくこと」をみんなで考えたいですね。歴史を通じて、自分の未来のことを考えるというも良いのではないかと思います。歴史を学ぶというような難しい考えをせず、今回は「職」にポイントをおいて、求職側と求人側のセッションができて、1つのことについてみんなで話せればと思います。
◆将来的にもっとこういう活動をしたいことなどはありますか?
歴史に関する活動をしていきたいんですが、「歴史」というだけで硬いイメージを持たれることがあります。聞いただけで拒否反応を示す人もいるくらいです。でもそういうことではないと思っていて、歴史の中にも素晴らしいことや考え方があると思うので、それをみんなに受け入れてもらえるようにして自分が伝えたいことを素直に伝えていきたいです。大学生を対象とするイベントをして、歴史のことを絡めるなどして概念を伝えていきたいです。
◆頑張ってください!!
最後にここまで団体の代表として話してもらいましたが、甲斐友也という1人の人間として今後やっていきたいことを教えて下さい。
とにかく面白いことをやっていきたいです!「面白いこと」というと漠然としているのですが、最近まとまってきたのは、1人で面白いことをやるのではなく、みんなでやって何かを作ることの喜びを共有したいですね。大学生活が1年とちょっと残っているので、その間に鹿児島大学にいる学生たちが何か不便に思っていることや、こうなればいいなと思っていることを1つでも解決できる何かを作れたらいいなと思い、今みんなで考えているので卒業までにできればと思っています!
◆ありがとうございました!
ありがとうございました!
◆インタビューを終えて
最近よくいろいろなイベントで一緒になったり、イベントを一緒に企画をすることがあるのですが、何をスタンスにいつも活動しているのかや、彼自身のモチベーション源などが聞けて良かったです。急な取材だったにも関わらず、沢山のことを語っていただきました。映画製作に関わるというのは決して楽ではないと思います。しかし活動を一生懸命楽しんでいる姿が単純にかっこよく見えました。鹿児島出身ではないものの、鹿児島への深い愛を感じました。彼のような人はきっと鹿児島の中でも、そして九州各地にも多くいると思います。そのような人が集まるようなイベントがあれば熱くておもしろくなるような気がしました。鹿児島愛溢れる彼をこれからも応援していきたいと思います。
ありがとうございました!